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いつかは終わる寂しさの中で生きていく。『鬼滅の刃』『魔法少女まどか☆マギカ』…音楽家・梶浦由記が綴った230編の全歌詞集から見えてくるもの
文芸・カルチャー
公開日:2023/7/28
『
空色の椅子』(梶浦由記/飛鳥新社)
ガールズユニット・See-Sawのメンバーとしてデビューして以来、30年間にわたり、人気作品のテーマソングや劇伴を手がけ、アニメファンから「神」と呼ばれている梶浦由記さん。彼女が作った楽曲を誰しも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
初の著書となる『
空色の椅子』(飛鳥新社)には、『機動戦士ガンダムSEED』『ソードアート・オンライン』『鬼滅の刃』などのタイアップ曲を含む全230編の歌詞が年代順に収められ、3万字を超える語り下ろしエッセイや、30周年にちなんだ「30曲のセルフライナーノーツ」も掲載。音楽家としての彼女の足跡と、梶浦ワールドの変遷を見ることができる。
彼女の楽曲から音や旋律を取り去り、「言葉」だけが残ったとき、そこにはどんな景色が見えてくるのだろう。
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アニメ音楽作りとの出会い
エッセイでは、歌詞を書き始めた頃の思い出や、歌詞を書くことへの想いが綴られている。
幼少期を過ごしたドイツで、オペラを聴いたり歌ったりする家族に囲まれて育った彼女の音楽のルーツは「クラシック」。作詞体験は、小さな頃、ピアノを弾きながら適当に歌い、なんとなくオリジナルの歌を作るところから始まったという。
アニメとはあまり縁のない日常を送っていたが、のちにアニメ音楽を作ることになったとき、「アニメ音楽は……その多くが、基本的に求められる音楽のスケールが大きく、『大げさ』なんです。悪役は高笑いをし、ヒーローは叫びながら敵に突っ込み…(中略)とてもオペラ的」と感じ、「こんなところに居場所があった」という驚きと喜びを感じたとか。自身にとっては「原点回帰」とも言える、幸せな出会いだったようだ。
もう一度、アニメソングの余韻に浸る
タイアップ曲の作詞は、彼女にとって「読書感想文」。その作品のどこで心を動かされ、泣き、笑ったのか。「(一視聴者が)物語の一員でいられるような音楽を」と語られる通り、その感動をそのまま素直に音楽にすることを大事にしているとか。
観た人の気持ちに寄り添うようにしている、とも。その点で作るのが難しかったのが、映画版『魔法少女まどか☆マギカ』のエンディングテーマとなった「君の銀の庭」だという。観る人によって解釈の異なる終わり方をするこの作品では、「俯瞰の眼差し」を設定し、誰の意見にも沿わず、逆らいもしない視点を取り入れた結果、多くの人に受け入れられる楽曲に仕上がった。
また、アニメ『鬼滅の刃』でLiSAが歌う「明け星」の歌詞については、ただ明るく照らす“金星=夜明けに見える星”のほうへ走るのではなく、「そこに向かって進まざるを得ない」という導きの星が見えているがゆえの辛さをも描こうとした、というエピソードが興味深い。
アニメファンは新たな視点で、推し作品の余韻にもう一度浸ることができるだろう。
20代だから書けた詞、今だから書ける詞
タイアップ曲の歌詞が読書感想文だとすれば、「自分のためのアルバムなどの歌詞は『エッセイ』のような感覚」で書いているという。過去の楽曲を振り返るライナーノーツでは、過ぎゆく時間と共に変化してきた歌詞への向き合い方についても触れている。
面白いのは、ソロプロジェクト・FictionJunctionの3rd album『PARADE』に収められた「櫂」にまつわるエピソード。「櫂」は、約35年前に書かれた歌詞が、Aimerという歌い手を迎えたことで、やっと表に出たという一曲。《終わらないもの二人で信じていたい》という歌詞の中の「終わらないもの」というフレーズは、20代そこそこだから簡単に使えた言葉であり、今の自分には使えない言葉。その年代に音楽を作って残しておいて良かった、と感じているそうだ。
今現在の梶浦由記の歩みを見て取れるのが、同じアルバムの表題曲となった「Parade」。人生の残り時間を数え始めるようになった今、可能性は少し減ったけれど、いきなり人生が終わるわけではなく、まだ明るく前に進みたい。そんな今現在の自身の目標を《朗らかに僕らは歩く》という言葉で表現した歌詞だという。
エッセイのように綴られたこれらの詞は彼女の人生そのものなのかもしれない。これからさらに深みが増していくであろう独自の世界観にも、期待せずにはいられない。
その先は、一人一人に委ねたい
本書のタイトルにもなった「空色の椅子」は、Kalafinaのアルバムに収録された1曲。主を失ってしまった椅子には寂しさがある、ということを歌った曲だ。人はきっとその寂しさから目を背けたくなるだろう。けれど彼女は「その寂しさに『よく来たね』と言ってあげたかった」と語る。これこそ、全歌詞に共通するものではないだろうか。
寂しさから逃げるのではなく、寂しさを歓迎する。そこに続く《きっと秋が終わるまで そこにいるんだね》という歌詞は、いつか寂しさから解放されることを暗示しているようだ。私たちの人生はいつも寂しさや悲しみを含んでいるけれど、それでも生きていくし、生きていきたい。生きていってもいい。彼女の綴る歌詞にはいつも悲しみと希望の両面があり、どの曲にも救いがある。
「(歌詞の)その先は、読んでいる方、聴いている方、一人一人に委ねたい」とも語る。歌詞の中で表現されたのは、彼女自身やキャラクターたちの想いであるのと同時に、私たちの物語でもあるのだろう。そのまっさらな言葉を心の中で読み返したとき、これまで気づかなかった新しい自分に出会えるかもしれない。
文=吉田あき