D
Daiima
Guest

So, retyping of the interview will come under a few days

behind the scene
~映像を音で彩る作曲家たち
Vol.16 梶浦由記
映画やドラマ、CM、アニメなど、映像作品を音で彩る作曲家の音楽人生に迫る本連載。今回登場いただくのは、梶浦由記氏。1993年、女性3人組ユニットSee-Sawとしてデビューを果たし、その後ソロ活動を開始した梶浦氏は、1995年、映画『東京兄妹』の音楽を手掛けたのをきっかけに、アニメ、ゲーム、TVドラマをどさまざまな分野で映像音楽を担当するようになった。さらに自身のソロ・プロジェクトFictionJunction、プロデュース・ユニットKalafinaのほか、ライヴも行うなど幅広く音楽活動を展開している。ここでは、梶浦氏がどのような道程を経て映像音楽の作曲家として活躍するのようになったのか、これまでのキャリアを振り返ってもらうため、プライベート・スタジオを訪れ話を聞いた。
作品の感情レベルと音楽の感情レベルがぴったり合い
花が咲くような感覚になる
そういう奇跡を起こしたいんです
~音楽の原体験~
「私は、子供のころドイツにいたんですけど、オペラの歌曲で音楽に自覚めたんですね。あと合唱もやっていたし、ピアノも習っていました。ピアノは父親が自分の歌の伴奏なさせたくて習わされたんですけど(笑)、とにかくポップスでもロックでも歌モノしか聴いてこなかったんです」
1965年、東京部生まれの梶浦氏。小学生から中学生までドイツにいたということもあり、現地での音楽の影響を強く受けていたようだ。
「小学校2年生くらいから、ちょっとずつ父親の伴奏を始めつつ、自分でも流行の音楽をコピーして弾き語りをしていたんですね。当時ドイツではやっていたアバやクイーンなど。そうすると、自然とオリジナル曲も歌うようになって、自分の中ではカバーもオリジナル曲も変わらない感覚で歌うようになっていました」
その後の梶浦氏の音楽活動を尋ねると、高校で合唱部に入りながらバンドをやるサークルのような部にも所属していたという。
「バンド部に女子バンドがあって、そこのキーボードの子が大学進学で地方に行くことになり、一緒にやらないかと誘われたんですね。バンドには興味はあったのですが、“私の曲を歌ってくれるならいいよ”と生意気なことを言って(笑)。それがSee-Sawの前身バンドでした」
その後See-Sawとしてデビューを果たすことになるのだが、梶浦氏自身、当時は音楽で生計を立てていこうとは全く考えていなかったという。
「私の家計はすべてサラリーマンで、音楽でご飯を食べるなんて全く想像はできなかったんですよ。なので、バンド活動はしていましたが、それはあくまで趣味で、一生働けるような会社にプログラマーとして就職しました」
しかし、音楽家としての道を目指そうと思った理由とは何だったのだろうか?
「続けていたバンドがちょっとずつ軌道に乗り、レコード会社かうも声をかけてもらえるようになったんですね。そのくらいになると仕事との両立が非常に厳しくて……。どうしようかなと迷ったんですけど、結局会社を辞めたんです。今私がそいう子を見たう絶対に止めますよ(笑)。でも、なぜ踏み切ったかというと、10代のときに父親が亡くなってしまっていたのが理由の一つで。実の父との約束で、私が20歳になったときに一緒にリサイタルを開こうと言っていたんですけど、それが果たせなかったんです。そのときに、人生って短いんだなって、すごく衝撃をうけた。何かを後回しにしていると、間に合わないんだなと。そのときの思いがずっとあって、音楽をやっていこうときめたんです。もし父親がぴんぴんしていたら、絶対そのまま仕事をしていましたね(笑)。冒険だったけれど、この人生棒に振ってもいいから音楽をやってみようと決心したんです」
~劇判作曲家への道~
「See-Sawの活動中、“インスト曲を書いてみないか?”というお話をもらったんですね。それはAfternoonTeaのコンピ盤で、3曲書いて1曲が採用された。その採用されなかったうちの1曲をたまたま映画監督の市川準さんが聴いて、すごく気に入ってくれたんです。それを次の映画に使いたいと。だからほかの曲も、その曲を作った人に書かせようということで、いきなりサントラのお仕事をすることになったんです」
当時、インスト曲をはば書いたことがなかったという梶浦氏が初めて音楽を担当した映画が『東京兄妹』。そのときのことをこう振り返る。
「当時の私はサントラと言われてもピンとこなくて、そのときにサントラというのがあるんだなと知ったくらいでした。だから面白かったとか勉強になったとかいうより、とにかく必死でしたね。それまでは歌モノの曲を書いていたので、月に1~2曲書けばOKだったのが、サントらとなると1力月で数十曲書くのが当たり前でしたから。そんなに書いたこも無かったし、始めるまでそんなに大変だとも思っていなかったんですね。それで、3~4曲書いたら頭の中が空ぽになっていましたよ(笑)。ただ、監督とのやりとりで印象的だったのは、“ちょっとピアノを弾いてごらん。それで良いんだよ”と教えてくれたこと。こっちは曲というからには、アレンジもいろんなパートがきちんと入っている状態で書かなくてはいけないと思っていたんです。でも、そうやって監督がすごく良い教え方をしてくれました」
そして、その必死の思いで仕上げた音楽が、以降の映像音楽の作曲家への道へとつながっていったという。
「作品を見てくださったプロデューサーさんから、今度はアニメ映画『新きまぐれオレンジ☆ロード capricious orange road そして、あの夏のはじまり』のサントラのお話をいただき、さらに同じプロデューサーさんからTVアニメ『EAT-MAN』の音楽にお誘いいただいた。さらにその『EAT-MAN』を出会った真下(耕一)監督が、TVアニメ『NOIR』の音楽を任せてくれたんです。そらやって全部つながっていったんですね。ある意味全部人とのつながりで仕事ができているので、ほんとうに幸福だなと思います。今振り返ってみても、いろんだ場所でいろんなじんにすごくタイミング良く出会ったなと。そういう意味で異質なのかもしれませんね」
そういった人とのつながりで映像作曲家としての仕事が軌道に乗っていった梶浦氏。映像音楽をやってみて感じたことを聞いてみた。
「1つのシーンはどういう音楽を付けるかで、こんなにも変わってしまうんだとショックだったんです。特に『東京兄妹』はセリフの少ない映画で、音楽1本でシーンの意味合いが全部変わってしまう。サントラってこんなに怖いものなんだと思いましたね。でも、何本かやっていくうちに楽しくなってきました。そしてこの仕事をずっとやっていきたいと思ったのは『NOIR』をやったことでした。真下監督がすごく冒険的を方で、最初は10人の登場人物の曲を好きなように作ってみてというオーダーだったんですね。だから私は、アニメーションに合わせて作るというより、自分のやりたいように10曲を作ったんです。Jポップをやっていたときは、自分の好きな音楽の作ることができず、みんなに聴いてもらえる曲を作らないといけないんだろうなと、軽くグレていたんですけど(笑)、サントラのお仕事をしてみたら、自分がこういう曲を作っていけないと思っていた曲の引き出しを全部開けても足りなかったんです(笑)。それがすごく新鮮で、こんなにいろんなことをやっていいところがあったんだと。あとアニメーションそのものが、ほぼ大げさですよね。とにかく感情過多なんですよ。それって何かに似ているなと思いついたのが、子供のころ大好きだったオペラでした。ということは、オペラの音楽の大げささを、このフィールドではどんどん作っていいんだと、むしろ作らなきゃもたないんだと。それが楽しかったし魅力的でしたね。全然自分の知らない音楽の世界がこんなところに広がっていたんだなと本当に驚きでした」
~機材変遷について~
「See-Sawの前身バンドでは、私の担当はシンセだったんですね。それでシンセを買おうと思ったら、ROLAND Juno-106かYAMAHA DX7が候補に挙がったんです。DX7はリハスタでよく使っていたので、何となくエレピやフルートのような音が出ると分かっていたんですけど、値段的にJuno-106しか買えなくて……。まぁシンセなら音が何でも一緒だろうと思っていたら、全然違って(笑)。そこでバニックになり、シンセの本を買って、ようやくJuno-106はそういうシンセではなかったと気が付くんです」
バンド活動をする上で打ち込みは必要なく、興味もなかったという梶浦氏だが、その後YAMAHA V50を買ったことで付さ込みの面白さに気付いたという。
「V50は簡単なシーケンサーがついていて、それを使ってみたら打ち込みってこんなに面白いんだってハマってしまった。当時はライブ用に打ち込んでいたんですけど、打ち込み過ぎてギターが弾くてころがなくなったり、イントロを2分くらいで作ったりしてケンカとかもしたり(笑)。でもそれからNEC PC-98Noteを買ってCOME ON MUSICレコンポーザでパソコンによる打ち込みを始めました。ちょうど仕事がプログラマーだったので、PC-98Noteやデスクトップも必要でした。仕事を辞めてからMacに移行してMOTU Performerを使い始め、今はMOTU DPですが、MIDIしか使っていません。オーディオはAVID Pro Toolsで録っていますね」
~作曲/レコーディングについて~
「歌モノだとメロディから作るのがほとんどですが、サントラだとメロディではないところから作ることもあります。リズムからとか、パッドからとか。特にイントロがどう入るかが大事で、映像の資料がある場合はシーンを見て、ピアノのメロディから入るイメージが浮かんだら、メロディが強い曲になるし、薄いパッドもしくはノイズの不協和音から入ろうと思うと、そこから想像を膨らませる。そこでメロディを入れたくなったら入れるし、入れない場合もあります。どういうパッドを選んだかにもよりますね。薄いパッドでリズムを乗せたくなるのか、それだけでリズム感を出せてしまうパッドとか……。そうやって作りながらアレンジを構築しているんです」
梶浦氏は、自身のスタジオはほぼ録音をせず、外のスタジオでレコーディングするようにしているという。そして、劇判作家におけるレコーディングの難しさと魅力を語ってくれた。
「レコーディングで一番難しいのは、プレイヤーに何をどう演奏してもらうかを伝えること。エンジニアの方は割とクールで客観的ですが、プレイヤーの方は自分を出す人もいるので。その人の良さを分かって、自分の求めることをその人にどう伝えればいいのかが、こんなに難しいのかと。あと、自分との戦いですね。自分の中で出来上がっているものがあって、それと違う演奏をプレイヤーがした場合どうするか。その変化を受け入れるのか? いや、違うと、あくまでオリジナルの形にこだわるのか。それはどっちも正しいんですよ。そこで気をつけなければならないのは、プレイヤーの方がいろんな意味で演奏を変えてくれるのは良いんですけど、感情レベルというか、サウンドトラックで果たす役割を変えたいことなんです。私も昔よりは客観的に聴けるようになってきたから、楽しめるようになったんだと思います。幾ら格好良い曲でも、本来をの音楽が果たす役割を逸脱してしまったらサントらとしてはダメなので、格好良ければいいというわけではないんです。その辺はさじ加減ですね。やっぱりサウンドトラックって役割のある音楽なので、その役割の中で遊ぶのが楽しいんですけど、楽しいあまりにその役割をはみ出しては仕事にならないし、やっぱりサウンドトラックのだいご味って、最後に映像と合わさったときに、その作品の感情レベルと音楽の感情レベルがぴったり合って、伝えるべきことが何倍にもなってふわっと花が咲くような感覚になることなんです。そういうことがたまにあるんですね。それは気のせいではなく、私が感じると見ている人もそうおっしゃってくれる方が多いので、そういう奇跡を起こしたいんです。そうなると、ただ良い曲を書けばいいわけではないんです。シーンの感情に合う、気持ちに合う、波に合う曲を書かなくてはいけない。好きな曲を書かないで作品に合わせていくというと、つまらないんじゃないかと思うかもしれませんが、そうではなくて、そう思うとまた違う楽しみ方が出だてくるんです。作品と向き合いながら、フッと合わさったときに起きる何かが。でも結局は作品が出来上がるまでは、自分の役割が果たせていたのかは分からないんですよね。幾ら前もって映像資料をいただいていても。見るときはドキドキです。第1話はみなさんと同じ時間に正座して見ますよ(笑)。第1話は必ずテレビで見たいんです。映画だと試写会ではなく一般のお客さんが入っているときに見に行きますし。映画館だと、見ている人かハッとする場面や号泣していたりするような、そういう人の波も会わってくるので、これは作品の泣に乗せられたんだなと、肌に染みて分かる。そういうことを感じたいんです。やっぱりそういう確認をして、経験則から次につなげてもっと良い曲を作りたいですからね」
~読者へのメッセージ~
「正直言って偶然に偶然が重なってサントラの作家になり、なれた後にその面白さを知ったという非常に辛運な人間なんです。だけど、曲はいっぱい作っておくべきですね。思い付いたときにちゃんと作っておいた方が良いと思います。特にサントラ系はストックが多いことに越したことはないので。あとどんな仕事でも手を抜くな。意外な仕事が、意外なところでつながることってあるんですよ。特に、初めたばかりのころって、何が何につながるかは分からないし、それを想像する余裕はないんですよ。だからとにかく全部本気でやるしかないのかなと。そもそもアマチュアのうちから本気でできない人はプロにもなれないと思いますよ」
人とのつながりを偶然と語る梶浦氏だが、それを導いたのは自身の真摯(しんし)に音楽に向き合う姿勢と確かな音楽の魅力があったからに違いたい。
「私は作曲家でいたいんです。ほかのことは趣味で、特にライブは私にとって仕事ではなくしておきたい。ライブが仕事だとライブばかりやって作曲をしなくなってしまう気がして。だってめちゃくちゃ楽しいんですよ(笑)。だけど、私は曲を作るからライブができるので、本末転倒にしたくないという意味です。ともかく私は作曲を生業にして、なるべく“あなたの曲が欲しいです”と言われ続けて、これからも楽しく曲を書いていきたいですね」
2nd page captions “Photo Gallery”
[A]『AnimagiC 2004』へ出演するために、ドイツのコブレンツに訪れた際のスナップショット。幼少のころドイツで育った梶浦氏にとっても思い出の一枚 [ B]『FICTION II』(2011年)のマスタリングを手掛けた、スターリング・サウンドの故ジョージ・マリノ氏と。See-Sawをど何枚かでマリノ氏にはお願いしていたそう。「ますでマジックのように音が変わって驚きでした』と梶浦氏 [C]『Yuki Kajiura LIVE』のライブ前に撮られた1枚。レギュラーのナンバーで、前列左から高橋Jr.知治(b)、左籐強一(ds)、梶浦氏(k)、KEIKO(vo)。後列左から、今野 均(vln)、是永巧一(g)、KAORI(vo)、WAKANA(vo)、YURIKO KAIDA(vo)。さらにゲストが加わることもあるそう [D]2014年2月から行われた『Yuki Kajiura LIVE vol.#11 elemental Tour』で台湾公演に行った際の空港到着時の写真。多くのファンが出迎え、国内だけではなく海外での人気の高さもうかがえる
4rd page captions “Private Studio”
[1]部内のマンションの一室を利用した作業スペース。こちらでは作曲、アレンジを基本に行い、生楽器のレコーディングは基本的に外のスタジオで行っているとのこと。写真は梶浦氏のデスクで、DAWはMOTU DPとAVID Pro Toolsを併用している。DPはMIDI打ち込み用として使っているとのこと。ソフト音源は、NATIVE INSTRUMENTS KontaktやSPECTRASONICS Atomosphere、Trilogyなどを使い、最近はほぼソフトでデモを仕上げているそうだ。デスク小の鍵盤はKORG M3、ヘッドフォンはAKG K271 MKII、モニター・スピーカーはGENELEC 8030A。「8030Aはあもり華美にもならないし、平均的に聴こえるの良いなと。冷静に曲作りができる音ですね」梶浦氏は語る
[2]作業デスク左側スチール・ラックにはシンセが置かれていた。上からNORD Nord Lead、2段目左がWALDORF Blofeld、左がACCESS Virus TI Snow、3段目がACCESS Virus C。「ACCESSのシンセは気に入っていますね。Virus Cはその中でも一番最初にかったのでつい手が伸びてしまいます」
[3]デスク左に設置されたラック。上からMOTU Midi Timepiece、Midi Express XT、828 MK II、Bru-rayディスク・プレーヤを挟んで、FOCUSRITE ISA Two、MARANTZ PM6001、TASCAM CD-RW700、BEHRINGER Eurorack Pro RX1602、SPECK ELECTRONICS X.Sum、ROLAND Integra-7、E-MU Proteus Orchestra。「Proteus Orchestraは弦のシミュレーションには欠かせません。そこそこアタックもあるしレガートも奇麗で、高級なソフト音源やほかでいろいろ試したけれど、それでないとダメだったんです。それは4~5台目で、しかも3台ストックがあります(笑)」
[4]上からACCESS Virus TI Desktop、KORG Triton-Rack、ROLAND JV-2080、AVID 192 I/O、SONY PCM-R500、FURMAN AR-1215J、ETA SYSTEMS PD11P×2、HAFLER P1500
[5]ライブで使用しているというROLAND RD-700GX。「ピアノはENSONIQ KS-32が好きです一っと使っていたんですが、汎用性も考えてROLANDに移行したんです]
[6]RODE NT2-A。仮歌を録るときに使うほか、梶浦氏自身のコーラスはここで本チャンを録るそう
Holy hell, those studio shots are great. She's acquired A LOT of stuff over the years, it seems. So many shiny things that are making my inner tech nerd drool a bit...![]()
I just hunted down what I think could be the interview that @Kugayama mentioned, and yeah - her old setup is...monolothic! Her flat was pretty much a studio with a bed in it!EDIT: this one? https://www.youtube.com/watch?v=2BCmXTSNhjE